韓国の陶磁器とマッコリについて

韓国の陶磁器とマッコリについて

今回は先日韓国居酒屋に行った時に、たまたま居合わせた人の話が大変面白かったので、この話を整理して下記に掲載いたします。

私が初めて韓国の地を訪れたのが、すでに30年も前のことである。
当時の印象だが、気温は氷点下でどんよりとした曇り空の中、降り立った金浦空港では、独特の異臭ただよう空気に包まれ、移動の車中では、黄色や緑、橙などカラフルな小型車がクラクションを鳴らし合いながら我先にと車線構わず行き交っている。また目に入る看板は、記号としか理解できないハングルの大洪水。市場はチリチリパーマのアジュモニ(おばさん)たちが、競うように声を張り上げ、すれ違う時も、わざとなのか肩や腕がぶつかり合って、ストレスこの上なかった。

そんな、まさに近くて遠い国をまざまざと痛感した韓国という国であったが、その後、仕事でたびたび訪れるようになると、妙に懐かしい気持ちや、日本人社会では感じることのできない、曖昧さ、テキトーさ、何でもありみたいな、神経質に気を払わなくても良いという心地よさが芽生えてきた。慶州など地方に行くときに見る車窓から景色は、大陸的でゆったりとした気分が味わえ、悠久の歴史に包まれた土地であることを肌でわかるようになった。

その頃のある日、慶州へお客様と一緒に行った時のこと。高麗青磁の窯元への見学が組み込まれていた。値段も私の安月給では買うこともできないような陶磁器がずらりと並んでいたが、何人かは、店の人と日本語で値切りつつも、高価な陶磁器を購入していったものである。私もサービスで高麗青磁のぐい飲みセットをよくいただいたものだ。鶴や鴨などの彫り物が施され高級感があり洒落ており、帰国して日本酒を飲むのにもちょうどよかった。実に商業的であるが、このようなきっかけが、私が韓国の陶磁器に触れる最初の出会いだったと思われる。

それから20数年、韓国と関わっているが、韓国を代表するものはと聞かれれば、陶磁器であると私は思う。朝鮮王朝時代から韓国の庶民の心が映る器が白磁であり、それ以前の高麗時代のものが青淡色の青磁という大まかな区分けができるようである。そしてやはり青磁はどこか高貴なイメージで、使う道具というよりは見る美術品という感じだが、白磁は庶民の器であり、私も好きな酒、マッコリによく似合う。また、今でこそ高級韓定食や宮廷料理のお店でも料理の器として良く登場する。

私の個人的な所感で言えば韓国の色といえば、88ソウルオリンピック前までは、前述のとおり、女性が着る色とりどりの民族衣装(チマチョゴリ)やタクシー等の鮮やかさが連想され、その当時はそれが韓国の色であると思っていた。しかし年を重ねるごとに、韓国の地方にも行くようになると、伝統的な両班の衣装や、その家屋の壁や障子紙、そして白磁の陶器の“白”であると感じるようになった。しかも単純な白ではなく、どことなく温かみのある白、表面が無機的で冷たいホワイトではなく、ざらついてちょっと起伏のある、韓国人の気質であるいい意味でのテキトーさ、細かいことにうるさく言わない優しさがある白なのである。

もちろん、ワールドカップ日韓共同開催時のイメージでもあった韓国人のもう一つの気質ともいうべき熱狂的なイメージの“赤”もあるが、悠久の歴史を瞼の中に映し出したとき、やはり白なのではないかと思う。純粋、純白、穢れの無い、紛れもない威風堂々として、それでいてお茶目で、愛着のある白が、今の私の韓国の色としてイメージされる。

そういえば、マッコリもやさしい乳白色をした酒だ。どこぞの場所で醸造した自家製の白いマッコリを、アルミ製の器もいいが、重厚感のある白磁の器でいただくと格別においしい。わが日本の陶磁器も元をたどれば、すべてが彼の地から伝わっていることを思うと、これほどに悠久の母なる大地、朝鮮を感じながら味わえる酒は、韓国ならでは、白磁ならではでないか。

さらに付け加えるとすれば、日本から伝わった唐辛子で作るキムチの赤が、これまた白磁の皿に盛りつけられると目に飛び込むように映えて、おいしさもまた倍増する。ああ!また出かけたくなりますね……。